『伊能忠敬研究』  第25号  目次一覧 
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 ■凡 例  [ジャンル]  ●=日記   ■=史料・資料   ◎=伊能忠敬   ○=周囲の人物   △=史跡めぐり
       [表  題] 《 》=誤記の訂正  例:伊能図探究 第一〇号 伊能図見て歩き(三)《(四)正当》
             〔 〕=内容の注記  例:伊能家文書紹介 十一 その二 枇榔嶋〔日向国臼杵郡〕
 
号数 ジャンル 番号 表 題 著者 号-頁 発行日
25号 表紙 1 表紙 伊能忠敬研究 二〇〇一年 第二五号 史料と伊能図 伊能ウオーク特集 伊能忠敬研究会 25--1 20010401
2 表紙図解説 須賀田氏蔵 天の橋立図 部分 渡辺 25-0
3 目次
25-0
巻頭エッセイ 4 「伊能ウオーク完歩」に寄せて 鈴木 全一 25-1
  (すずき ぜんいち 千葉県佐原市長)
伊能ウオーク特集 5 伊能ウオークが完了しました
25-2
  晴海通りのパレード (朝日新聞) 25-4
  パレードの先頭 25-6
  伊能忠敬研究会チームのパレード 25-7
6 伊能ウオークの二年間を振り返って 編集部 25-8
7 伊能ブームのきっかけとなった伊能忠敬研究会5年間の歩み 渡辺 一郎 25-16
  95.3.27渡仏~99.1.25伊能ウオーク進発
8 飯田橋のホテル・アグネスの伊能ウオーク「お疲れさま会」は盛況でした
25-30

9 伊能忠敬子ども調査隊-伊能忠敬の測量した道~智頭街道(上方往来)の宿場町の調査- 田中 精夫 25-19
  伊能図と現代図〔の比較図〕 25-20
  (鳥取県八頭郡智頭町立山郷小学校)
◎佐原邑河岸一件 10 伊能古文書教室 佐原伊能家史料を読む 佐原邑河岸一件(三) 小島 一仁 25-21
  欠込願
  川岸役永十貫文 25-23
  一件落着 25-24
お知らせ 11 岩波書店から、大谷亮吉『伊能忠敬』が復刊されます(限定350部、定価32000円)
25-26
●房総沿岸測量〔享和01辛酉年第二次測量(1801)〕 12 伊能忠敬の房総沿岸測量(三) 渡辺 孝雄 25-27
  享和元年(1801)房総沿岸測量時の宿泊地 25-28
◎伊能家文書紹介 13 伊能家文書紹介 十七 伊能忠敬と刀 安藤 由紀子 25-31
  三つのステージ
  名主とは
  あいまいな資格(第一次から第四次まで) 25-33
  箱訴 25-34
  孫に与えた刀 25-35
研究ノート 14 伊能忠敬と八王子千人同心 加藤 巷児 25-36
  2000年は八王子千人同心の、勇武津〔勇払〕着任二百年ということで、苫小牧市にて各種催しあり
  第一次測量にて、寛政十二年六月二一日〔1800.08.11〕、勇払で、八王子千人同心原半左衛門に会っている 25-37
  北海道大学図書館蔵 北海道延叙(えぞ)歴検図 目賀田帯刀作
◎芳名録より 15 芳名録より-佐原伊能家を訪れた人々- 伊能 陽子 25-39
  富谷 鉦太郎(とみや しょうたろう) 大正七年
16 「芳名録より」余録 伊能 陽子 25-39
  二三号「葛原しげる」について 福山市菅波さんよりのお手紙
◎人間・伊能忠敬の生涯 17 忠敬ドラマ制作者への参考 感動の五〇場面 人間・伊能忠敬の生涯(私稿) 渡辺 一郎 25-40
  はじめに
  古い書物がいいわけではない 25-41
  一 伊能忠敬・幼名三治郎の母の死 25-42
  二 父が迎えにくる。三治郎喜ぶ
  三 生きる道を求めて奉公に出る
  四 佐原の伊能家では婿探し
  五 忠敬と改名、入夫
  六 河岸一件
  七 天明の飢饉を切り抜ける
  八 妻ミチを失う 25-43
  九 医師・桑原隆朝と知り合う
  一〇 お信を失う
  一〇の二 義父隆朝、忠敬を慰める
  一〇の三 至時、間、忠敬の出会い
  一一 寛政の改暦がはじまる
  一二 忠敬、自宅に観測所を設け、高橋役所に通学 25-44
  一三 天文方で地球の大きさの議論が起こる
  一三の二 測量図を完成し、緯度一分の計算値を提出
  一四 蝦夷地までも測ったらいいのではないか
  一五 御船手役人荷物を調べに来宅


号数 ジャンル 番号 表 題 著者 号-頁 発行日
25号 ◎人間・伊能忠敬の生涯 17   一六 第1次測量の旅 渡辺 一郎 25-44 20010401
  一七 蝦夷地の地図を上呈 25-45
  一八 第二次測量計画
  一九 第二次測量の旅
  二〇 本州東海岸の地図完成
  二一 第三次測量先触れの伝達
  二二 第三次測量の旅 25-46
  二三 第四次測量
  二三の二 糸魚川事件の復元
  二四 下役、絵師を動員、東日本図を制作
  二五 東日本図完成、全景と拡大図
  二六 将軍・徳川家斉上覧 25-47
  二七 西日本測量の命令が出る
  二八 第五次測量に出発
  二九 尾鷲で下役と衝突
  三〇 大船団による瀬戸内の測量風景
  三一 秋穂浦で発病、隊規乱れる
  三二 四国沿岸測量 25-48
  三四 村方の受け入れ態勢と測量隊の日課《三三が欠番》
  三五 九州へ(第七次測量)
  三六 幕府、屋久島、種子島測量を厳命
  三七 九州東南部の地図を提出する、間宮林蔵と再会
  三八 九州第二次測量(第八次測量)
  三九 福岡の国学者・青柳種信と意気投合
  四〇 平戸侯測量模様を閲覧 25-49
  四一 副隊長・坂部貞兵衛客死
  四二 長崎の町を一四日かけて測る
  四三 本州内陸部の測量
  四四 伊豆七島測量
  四五 体力衰える
  四六 忠敬急死
  四七 伊能図最終本の提出
  四八 源空寺に墓碑を建碑
△史跡めぐり 18 伊能忠敬史蹟めぐり1 函館山の伊能忠敬碑 加藤 巷児 25-50
●対馬藩宗家文庫測量御用記録〔文化10癸酉年第八次測量(1813)〕 19 地域史料 対馬藩宗家文庫『測量御用記録』(二) 人江 正利 25-51
■江戸在住日記 20 伊能忠敬の江戸在住日記 五〔(第5次測量と第6次測量の間)1807.10.24~1807.11.12(文化04.09.24~文化04.10.13)〕 佐久間 達夫 25-56
  注釈 久保木清淵(一七六二~一八二九)
21 伊能忠敬の江戸在住日記 五-2〔(第6次測量と第7次測量の間)1809.03.03~1809.07.02(文化06.01.18帰着~文化06.05.20)〕 佐久間 達夫 25-57
  二、第六次測量を終って江戸帰着から第七次測量出立の日まで(一)
  注釈〔人物〕 25-59
○間宮林蔵 22 研究会佐原支部見学会報告 間宮林蔵記念館を訪ねて 25-61
  専称寺の墓地にある間宮林蔵の質素な墓碑
お知らせ 23 伊能忠敬銅像建立資金の募金について 伊能忠敬研究会理事会 25-62
  伊能忠敬銅像建立趣意書 二〇〇一年三月一五日 伊能忠敬銅像建立実行委員会 25-62
  完成目標時期 二〇〇一年一〇月
奥付 24 研究会案内・投稿規定・HP・編集後記(渡) (渡) 25-65
  本号は伊能ウオーク特集号とし、倍頁の64頁としました。事務局幹事の協力で完全版下まで制作しましたから、経費的には予算を超えておりません。写真版と一部データ変換を外注しましたが、その他はすべてパソコン作業です
25 2001年4月1日発行  伊能忠敬研究会 編集発行人
  渡辺 一郎
25-65
26 裏表紙(英文目次)
25-66