『伊能忠敬研究』 第37号 目次一覧
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■凡 例 [ジャンル] ●=日記 ■=史料・資料 ◎=伊能忠敬 ○=周囲の人物 △=史跡めぐり
[表 題] 《 》=誤記の訂正 例:伊能図探究 第一〇号 伊能図見て歩き(三)《(四)正当》
〔 〕=内容の注記 例:伊能家文書紹介 十一 その二 枇榔嶋〔日向国臼杵郡〕
号数
ジャンル
番号
表 題
著者
号-頁
発行日
37号
表紙
1
表紙 伊能忠敬研究 二〇〇四年 第三七号 史料と伊能図
伊能忠敬研究会
37--1
20040820
2
表紙図解説 米国議会図書館蔵 伊能大図一一五号の部分「熱田から名古屋」
渡辺
37-0
3
目次
37-0
最新情報
4
「大地みらい」に伊能測量記念柱が誕生 北海道・別海町
福田 弘行
37-1
一本松に記念柱 イラスト・別海町福原義親さん
7月15日に除幕式
五五歳の伊能忠敬は若者五人とともに江戸深川を出発し、一〇七日かけて一、六一二キロを歩測し、この地まで到達天体観測をおこないました
37-3
ニシベツ到着は一八〇〇年陰暦の八月七日、現在の暦では九月二十五日です。折から浜では徳川将軍家へ献上する鮭漁が盛んで、船の手配ができませんでした。このため、ネムロ・クナシリでの測量を断念し、この地で最後の測量をして引き返しました
西別川は世界一の透明度を誇る摩周湖の湖水がいったん湖底に浸透し、西別岳のふもと、虹別で地表に噴出するのを源としている
37-5
(福田 弘行)
37-6
5
釧路で二万二千人余に全国大図がお披露目 徳川将軍でも見られなかった伊能大図214枚がそろう
37-7
「伊能大図」214枚が到着 壮観
(釧路新聞)
37-8
「伊能大図」上を歩く
6
釧路の熱い三日間
前田 幸子
37-9
研究会主催の第三回旅行は「釧路・ニシベツの旅二泊三日」であった
(まえだ こうこ・東京都立大学勤務)
37-11
伊能忠敬フロア展in釧路
7
測量最東端の地ニシベツをゆく~道東編~
新沢 義博
37-12
(しんざわ よしひろ・元伊能ウォーク本部隊、朝日販売開発)
37-13
8
伊能大図の欠図四枚の発見まで
渡辺 一郎
37-14
特報
9
特報 「伊能大図」最後の四枚発見
福田 弘行
37-16
(福田 弘行)
37-19
話題
10
外国の文献のなかの忠敬先生(二)
秋間 実
37-20
今回はブラジル(ボルトガル語)の記事を紹介
行基図から国絵図を経て、伊能図に至る日本の地図の歴史。シーボルト事件のことも
37-21
(あきま みのる・東京都立大学名誉教授)
37-23
11
遅咲きのひと 「充電」伊能忠敬 若い友との豊かな人脈 イラスト・南伸坊
(日本経済新聞)
37-23
12
生徒が元気に新校歌披露 柏木隆雄さんが作詞 佐原香取中学
37-27
同校は市立第二中学と第四中学の統合にともない新設されたもの
13
「伊能大図」つながった
(朝日新聞)
37-39
14
伊能忠敬研究会との出会い 思い出あれこれ
大沼 晃
37-45
(おおぬま あきら・ライフデザイン工房主宰)
15
伊能忠敬記念館だより
伊能 楯雄
37-46
伊能淳氏〔八代目当主。埼玉県朝霞市〕に紺綬褒章
特別展示等
当記念館では、資料保護のため、重要文化財等は、2ヶ月ごとに展示替えをしています
記念館長が交代 平成十年の新忠敬記念館オープン以来六年間に亘り館長として勤められた西野元氏が三月末日をもって退職し、五月一日付けで私(伊能楯雄)が就任いたしました
私の家は、忠敬の六代前に三郎右衛門家から分れ、七郎衛門《七郎右衛門 正当》と称しており、その四代目が伊能豊秋になります
本年二月に佐原の祭りが、国の重要無形民俗文化財に指定されました
37-47
(伊能忠敬記念館新館長・いのう たてお)
◎芳名録より
16
芳名録より-佐原伊能家を訪れた人々-
伊能 陽子
37-28
巌谷 小波(いわや さざなみ) 大正九年五月十二日
若槻 礼次郎(わかつき れいじろう) 大正十年四月廿五日
37-29
堀口 九萬一(ほりぐち くまいち) 昭和五年六月十五日
◎旌門金鏡類録
17
伊能古文書教室 佐原伊能家史料を読む 『旌門金鏡類録』(四)
小島 一仁
37-24
不受不施〔ふじゅふせ〕派法難
忠敬隠居のことなど
37-25
研究ノート
18
交際範囲が広く人望の厚かった忠敬
佐久間 達夫
37-30
寛政五年 伊勢参宮留守見舞覚帳 見舞者の住所氏名品物
明和九年 景敬七才 帯解祝の祝儀帳 祝儀持参者二百三十八人
37-31
天明三年没 伊能達(みち)葬式控 達の葬列
天明四年七月 伊能達(みち)の新盆 百二十六名から新盆見舞
37-34
◎伊能家文書紹介
19
伊能忠敬書簡紹介 二 大川治兵衛宛 文化四年六月十一日付け書簡 つづき〔1807.07.16〕
安藤 由紀子
37-35
○渋川景佑
20
渋川家と養子景祐(高橋善助)の家族
伊藤 栄子
37-40
渋川正陽家の七人の子供(男4女3) すべて早世
景祐の家系図
37-43
東海寺 渋川家の墓所
37-44
附記 旧渋川家蔵書
号数
ジャンル
番号
表 題
著者
号-頁
発行日
37号
21
品川より六郷川手前迄の図 伊能忠敬隊の測量図を模写
植田 浩一
37-48
20040820
(うえだ こういち・朝日新聞OB)
37-55
■伊能忠誨日記
22
伊能忠誨(いのうただのり)日記(六)〔1822.09.16~1822.12.11(文政05.08.02~文政05.10.28)〕
佐久間 達夫
37-56
注釈〔人物〕
37-61
妙薫は、文政五壬午年八月二四日〔1822.10.08〕の五ツ半時に江戸亀嶋町の忠誨宅で、六〇歳の生涯を閉じた。……忠誨は、二五日に深川の法乗院で葬儀を行なった。そして九月一日〔1822.10.15〕に妙薫の骨を持ち江戸亀嶋町宅を六ツ半時頃出立し、〔行徳まで船。釜ヶ谷泊。木嵐(きおろし)から船〕二日の夜四ツ時過、本家(佐原)へ帰着した。翌九月三日暮六ツ時過、佐原村の観福寺の伊能三郎右衛門家の墓地に、妙薫の骨を葬る
23
訂正 第36号58頁 伊能忠誨日記(五)
佐久間 達夫
37-62
新潟支部だより
24
「新潟フロア展」に向けて活動開始
垣見 壮一
37-62
九州支部だより
25
佐世保、島原の忠敬測量
中富 道利
37-63
(福岡県遠賀町・なかとみ みちとし)
日々の話題
26
塩の道ウオーク 糸魚川まで430キロの古道を踏破!
(新潟日報)
37-64
27
松陰、道灌、忠敬、林蔵……歴史を動かした「開拓者」子孫
(ヨミウリウイークリー)
37-64
△記念碑の話題
28
伊能忠敬の石像が建立 伊能忠敬記念館敷地に 白鳥石材白鳥富士男氏の寄贈
37-64
日々の話題
29
道東旅行のお便りから
37-64
お知らせ
30
事務所が、目黒区青葉台の「日本地図センター」二階に移転しました 東急田園都市線池尻大橋下車徒歩7分〔渡辺ご夫妻の飯田橋10年に御礼いたします〕
37-64
31
『別冊「伊能忠敬研究」伊能忠敬未公開書簡集』は11月の発行
37-64
32
創立10周年記念大会は12月12日(日)、会場は東京・世田谷の日大文理学部を予定
37-64
奥付
33
研究会案内・投稿規定・HP・編集後記(F)
(F)
37-65
34
2004年8月20日発行 発行 渡辺 一郎 伊能忠敬研究会
編集 福田 弘行
発行 渡辺 一郎
37-65
35
裏表紙(英文目次)
37-66