『伊能忠敬研究』 第56号 目次一覧
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■凡 例 [ジャンル] ●=日記 ■=史料・資料 ◎=伊能忠敬 ○=周囲の人物 △=史跡めぐり
[表 題] 《 》=誤記の訂正 例:伊能図探究 第一〇号 伊能図見て歩き(三)《(四)正当》
〔 〕=内容の注記 例:伊能家文書紹介 十一 その二 枇榔嶋〔日向国臼杵郡〕
号数
ジャンル
番号
表 題
著者
号-頁
発行日
56号
表紙
1
表紙 伊能忠敬研究 二〇〇九年 第五六号 史料と伊能図
伊能忠敬研究会
56--1
20090531
2
表紙図解説 米国議会図書館所蔵 伊能大図第155号 松江(部分)
鈴木 純子
56-0
3
目次
56-0
△史跡探訪
4
史跡探訪6 「伊能忠敬先生絶讃の地」記念碑
福岡県大野城市在住 野田 茂生
56-1
「忠敬先生絶讃の地」で忠敬先生を絶賛する
(のだ しげお・元NHK勤務)
話題I
5
「樂天樓」の罫紙と版木
56-2
現在残っている『測量日記』は、折り目の部分に「樂天樓」の名(ネーム)が入った罫紙に書かれており、その版木も保存されている
版木の「樂天樓」と彫られた部分
56-3
6
完全復元伊能図全国巡回フロア展
56-4
忠敬ゆかりの地・深川から出立
内覧会
56-5
一般公開
会場こぼれ話 お世話になりました!
伊能 陽子
56-5
マスコミ報道から
56-6
「横浜・開港百五十周年」フロア展
7
「伊能中図の写し」を臼杵市で確認-大分県で初、部分的な写しは希少- 臼杵藩領に着色「臼杵沿岸実測図」
(大分合同新聞)
56-7
8
佐原・観福寺で「忠敬祭」粛々と
56-8
9
今年も各地で「伊能大図」フロア展開催 国土地理院「測量の日」関連イベント
56-8
10
2009間宮海峡発見200年記念 伊能忠敬大図フロア展inわっかない
56-8
11
測量の碑記念事業・士別市開拓110周年記念事業 伊能忠敬大図2009フロア展inしべつ
56-8
●伊能大図総覧
12
伊能大図総覧の地名と景観(十)
星埜 由尚
56-9
富士山
御殿場
富士宮
56-12
人穴・白糸の滝
56-18
(ほしの よしひさ・代表理事・(社)日本測量協会副会長)
話題Ⅱ
13
「伊能忠敬先生絶讃の地」碑文について
野田 茂生
56-19
14
日食と伊能忠敬
56-36
世界天文年である今年、二〇〇九年七月二十二日に日食が起こる。日本の陸地での皆既日食は、一九六三年七月二十一日以来四十六年ぶり。次回は二十六年後の二〇三五年九月二日
忠敬先生が測量中に起こった日食は計四回だが、うち三回はあいにくの曇天
文化七年三月朔日〔1810.04.04〕に一回だけ、豊後鳩浦〔蒲戸崎北側。現大分県津久見市四浦〕で雲間から観測できた
日食観測に使用した機器
◎芳名録より
15
芳名録より-佐原伊能家を訪れた人々-
伊能 陽子
56-20
飯田 吉英(いいだ よしふさ) 大正十五年八月
亘理 章三郎(わたり しょうざぶろう) 大正十五年八月十九、二十両日にわたり
56-21
研究ノート
16
伊能忠敬に学ぶ 小・中・高校生の社会科学習
佐久間 達夫
56-22
大分県日田郡大山町(現日田市)都筑小学校六年担当から、学区の三光山伝照寺の過去帳に、文化九年六月二十九日〔1812.08.06〕伊能忠敬一行止宿の記事あるが、との手紙が伊能忠敬記念館に届く
第八次測量日記によると、当時は続木村
56-23
伊能測量隊宿泊碑
伊能勘解由忠敬宿泊の地標と都筑小の子供
香取市内F小学校六年担当の、社会科学習指導案
56-24
(さくま たつお・伊能忠敬研究家)
◎石谷春香レポート
17
研究レポート『伊能忠敬』(五)《(六)》 富岡八幡宮から川崎まで歩く!(その二)
石谷 春香
56-28
第七章 富岡八幡宮から川崎まで歩く!(つづき)
富岡八幡宮 九時→JR川崎駅 五時間四五分
56-34
家から家 45,675歩 地図で23.1km
実際は30kmくらい歩いたか
(いしや はるか・文教大学付属高等学校一年)
◎柏木家資料
18
柏木家に残された忠敬資料(二)
柏木 隆雄
56-37
法隆寺霊宝目録
伽藍東院部分(中央の建物は夢殿)
56-38
伽藍西院部分(中央の建物は五重塔)
56-39
法隆寺古絵図解説
56-40
大和・和泉・近江・但馬・山城・河内の六ヶ国絵図表紙
56-41
(かしわぎ たかお・税理士・作詞家)
56-42
「聖徳太子絵伝」 部分
56-43
法隆寺境内図
56-44
号数
ジャンル
番号
表 題
著者
号-頁
発行日
56号
○和算の人脈
19
和算の人脈(補遺)
安藤 由紀子
56-46
20090531
記録を残した遊歴和算家 大島善右衛門
犬目の平助
山口和 道中日記(文化十四)
56-47
伊能秀蔵(伊能勘解由伜)が問うた問題の由
56-48
小野栄重
56-51
(あんどう ゆきこ・「伊能忠敬文書目録」編者)
56-53
付表〔関連年表〕
△星座石(葛西昌丕)
20
伊能忠敬の測量之碑第一号 忠敬の生存中に葛西昌丕(かさいまさひろ)建立
佐久間 達夫
56-54
平成十一年四月、読売新聞社大船渡支局の名村栄治氏の訪問
唐丹の碑 もとは白岬地区の海岸近くの、葛西昌丕の隠居跡にあった
56-55
星座石 地元の人々が「ヒドケイ石」と呼ぶ、楕円形の置き石
星座石の刻字
測量之碑の読み下し文 北極出地度数越享和元年辛酉秋九月二十四日〔1801.10.31〕以次及我郷測定為三十九度一十二分
56-56
渡部健三氏は、平成十三年のとある日、拙宅にお出でになり、翌年四月八日、『伊能測量隊、東日本をゆく』の図書が送付されてきた
56-58
(さくま たつお・伊能忠敬研究家)
唐丹の碑 謎深まる忠敬との出会い
(読売新聞岩手版)
56-59
研究ノート
21
大谷亮吉と『伊能忠敬』
橋本 万平
56-60
明治四十一年六月、長岡半太郎が学士院に忠敬の事績の調査を提案
56-61
同年八月一日、長岡半太郎の弟子大谷亮吉に、伊能忠敬測地事績調査を嘱託する辞令が出ている
大谷亮吉は最初に、佐原旧伊能家で、忠敬の遺書・遺品の調査を行った
原稿が完成したのは、着手してからあしかけ九年後の大正五年
56-62
『伊能忠敬』は岩波書店から大正六年三月三十日の日付で発行された
大正六年〔1917年〕は伊能忠敬百回忌に当り、四月十三日の忌日に源空寺で法要が行われた
岩波書店発行雑誌「思潮」創刊号(大正六年五月一日)の裏表紙に『伊能忠敬』の広告が出ている
56-63
岩波書店『図書』第二八三号(一九七三年三月号)より転載したもの(編集部)
(はしもと まんぺい・神戸大学教授)
九州支部だより
22
=名護屋城博物館で学ぶ=「慶長肥前国絵図」「測量方御用諸事覚帳」を見学
馬場 良平
56-64
(ばば りょうへい 塚崎・唐津往還を歩く会)
56-68
例会報告
23
例会報告~第四回~
56-69
会員便り
24
会員情報
56-69
入会 長谷川 貞夫さん(東京都練馬区)
入会 今崎 仙也さん(呉市豊町御手洗)
退会
25
お便りから
56-70
日々の話題
26
日々の話題
56-71
お知らせ
27
お知らせ
56-72
奥付
28
研究会案内・投稿規定・HP・編集後記(M)
(M)
56-73
29
2009年5月31日発行 発行 星埜 由尚 伊能忠敬研究会
編集 前田 幸子
発行 星埜 由尚
56-73
30
裏表紙(英文目次)
56-74