『伊能忠敬研究』 史跡めぐり一覧
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No
ジャンル
号数
表 題
著者
号-頁
発行日
501
△史跡めぐり
25号
伊能忠敬史蹟めぐり1 函館山の伊能忠敬碑
加藤 巷児
25-50
20010401
26号
伊能忠敬史跡めぐり2 屋久島「伊能の碑」
伊能 陽子
26-32
20010801
平成十二年六月、上屋久島町が伊能測量顕彰碑を建立。一年経った今年〔2001年〕五月、上屋久島町に招かれて、碑の傍らに、町長とともに、屋久種子五葉松の植樹を行った
27号
伊能忠敬史蹟めぐり3 忠敬青春の地に記念碑三本を建立
海保 英之
27-38
20011201
記念碑一 「伊能忠敬成長の処」
記念碑二 「伊能忠敬父 神保貞恒生活の処」
27-39
記念碑三 「伊能忠敬宿泊地・観測地」
27-40
27号
伊能忠敬史蹟めぐり4 「海上引縄測量の地」記念碑完成
渡部 健三
27-41
20011201
記念碑の正面には「伊能忠敬海上引縄測量之地」
唐丹湾での海上引縄測量
27-42
忠敬顕彰碑のうち最古の「測量之碑」と、建立したての「海上引縄測量之碑」は、波静かな唐丹湾をはさんで、互いに向かい合っているのです
32号
写真資料館 伊能忠敬史跡めぐり
前田 幸子
32-23
20030422
「伊能忠敬出生の地」
「伊能忠敬成長の地」
「陸奥州気仙郡唐丹村測量之碑」と「星座石」
32-24
「高輪大木戸跡」
33号
-伊能忠敬史跡めぐり- 三陸海岸黒崎の伊能忠敬測量記念碑
渡部 健三
33-10
20030723
北緯40度シンボル塔 前に立つとセンサーが働いて地球儀が回転する趣向
68号
伊能忠敬史跡めぐり 伊能三郎右衛門家墓地
伊能 楯雄
68-13
20130228
伊能三郎右衛門家墓地 略図
68-16
伊能三郎右衛門家墓地 全景
85号
都内〔伊能忠敬〕史跡めぐり(写真集) 四月二十二日
85-23
20180820
芝公園丸山記念碑(伊能忠敬測地遺功表)
富岡八幡宮伊能銅像
85-24
源空寺(忠敬没後二〇〇年記念墓前法要)
85-25
86号
伊能忠敬史跡めぐり 深川の法乗院
玉造 功
86-20
20181107
はじめに
伊能家の菩提寺
江戸の伊能家
忠敬と法乗院
86-21
忠敬の死
忠敬の死の公表
法乗院と源空寺
86-22
江戸時代の法乗院
86-23
現在の法乗院
法乗院深川ゑんま堂〔本堂左側〕
86-24
502
△史跡探訪
51号
史跡探訪1 伊能忠敬測地遺功表(東京都指定史跡)
東京都江東区在 新沢 義博
51-1
20080229
我が人生を変えた忠敬先生の「お告げ」
(しんざわ よしひろ 元伊能ウオーク本部隊員)
52号
史跡探訪2 伊能忠敬北海道最初の測量地
函館市在住 齊藤 サダ
52-1
20080531
函館の忠敬先生に会いにいらしてください
(さいとう さだ・測量会社役員)
53号
史跡探訪3 伊能忠敬測量隊・金沢の宿「すみよしや」
金沢市在住 河崎 倫代
53-1
20080831
忠敬さんも見た「すみよしや」の大看板〔創業以来の大看板が現存〕
(かわさき みちよ・伊能忠敬と灯台と民具の能登さいはて資料館)
54号
史跡探訪4 伊能忠敬測量之地碑(及び測量隊宿泊邸跡碑)
広島市福山市在住 松井 義典
54-1
20081130
神石高原町合併記念「伊能忠敬測量之地碑」を尋ねて
(まつい よしのり・歯科医)
55号
史跡探訪5 伊能忠敬測量之地碑
福岡県朝倉郡在住 井上 辰男
55-1
20090228
伊能図の魅力にひきこまれて
(いのうえ たつお・日本測量協会測地技術センター九州支所次長)
56号
史跡探訪6 「伊能忠敬先生絶讃の地」記念碑
福岡県大野城市在住 野田 茂生
56-1
20090531
「忠敬先生絶讃の地」で忠敬先生を絶賛する
(のだ しげお・元NHK勤務)
57号
史跡探訪7 御用地館(住吉屋歴史資料館)
兵庫県豊岡市在住 谷垣 忠利
57-1
20090831
伊能測量隊が宿泊した「御用地館」と「我が家」
(たにがき ただとし・医師)
58号
史跡探訪8 浅草天文台(頒暦所御用屋敷)跡
東京都府中市在住 首藤 郁夫
58-1
20091130
江戸科学の拠点「浅草天文台」跡を訪ねて
No
ジャンル
号数
表 題
著者
号-頁
発行日
502
△史跡探訪
58号
(すどう いくお・科学史学会関東支部長)
東京都府中市在住 首藤 郁夫
58-1
20091130
59号
史跡探訪9 伊能忠敬先生宿泊之地碑
福岡市南区在住 國重 正樹
59-1
20100228
日田市「伊能忠敬先生宿泊之地碑」を訪ねて
(くにしげ まさき・青柳種信研究家)
60号
史跡探訪10 伊能測量隊・江ノ島の宿「夷屋吉右衛門」
神奈川県藤沢市在住 大沼 晃
60-1
20101130
忠敬先生宿泊の宿「夷屋(えびすや)」はいずこに
(おおぬま あきら・マネー&キャリアマネージメントアドバイザー)
503
△忠敬史跡
45号
忠敬史跡 背丈を越えた五葉の松 屋久島・忠敬記念碑再訪
伊能 洋
45-1
20060816
第26号32頁で、五葉松の植樹を紹介している
(写真 大庭 功)
45号
忠敬史跡 坂部貞兵衛の新案内板が完成〔五島市宗念寺〕
伊能 陽子
45-4
20060816
62号
伊能忠敬小倉顕彰碑
W
62-34
20110905
62号
松山「史跡 伊能忠敬休息之地」〔松山市谷町(伊能忠敬当時は谷村)〕
伊能 洋
62-34
20110905
504
△伊能忠敬ゆかりの地めぐり
63号
伊能忠敬ゆかりの地めぐり-1 三国峠を越えた伊能忠敬
星埜 由尚
63-0
20111208
64号
伊能忠敬ゆかりの地めぐり-2 箱田良助生誕の地《誕生之地 正当》
64-0
20120305
65号
伊能忠敬ゆかりの地めぐり-3 函館山
65-0
20120720
66号
伊能忠敬ゆかりの地めぐり-4 奥羽国桃生郡分浜
66-0
20121012
ミチとの奥州松島遊覧の旅の往路で同行し、世話を焼いてくれた秋山惣兵衛方〔分浜〕に、偶然にも止宿。二十四年ぶりの懐かしき出会いに語り合う
67号
伊能忠敬ゆかりの地巡り《めぐり 正当》(五)福江市の伊能測量史跡 二題
渡辺 一郎
67-28
20121220
一、坂部貞兵衛墓地 痛恨伊能隊副隊長坂部貞兵衛病没の地
二、伊能忠敬天測之地 記念碑
67-29
伊能測量関連施設案内 一 松浦史料博物館(長崎県平戸市)
67-30
505
△各地の記念碑
72号
伊能忠敬没後二百年記念誌発行に向けて-各地の記念碑・標柱等紹介(一)-
河崎 倫代
72-41
20140228
一、北海道野付郡別海町 「第一次伊能忠敬測量隊到達最東端記念柱」
二、北海道松前郡福島町 標柱「伊能忠敬蝦夷地上陸の地」
72-42
三、青森県東津軽郡外ヶ浜町 標柱「伊能忠敬蝦夷地測量向いし此之地」
四、青森県青森市 ゆかりの地表示「伊能忠敬」
72-43
五、秋田県大館市 〔矢立峠〕「伊能忠敬測量隊記念標柱」
(没後二百年記念誌編集担当 河崎倫代)
73号
伊能忠敬没後二百年記念誌発行に向けて-各地の記念碑・標柱等紹介(二)-
73-25
20140630
一、北海道稚内市
「間宮林蔵の立像」
「間宮林蔵の胸像」
「間宮林蔵渡樺出港の地の碑」
73-26
二、北海道室蘭市 「伊能橋」
三、青森県東津軽郡今別町 標柱「史跡伊能忠敬止宿」
73-27
四、群馬県高崎市 多古碑〔日本三古碑〕
(没後二百年記念誌編集担当 河崎倫代)
73-28
74号
伊能忠敬没後二百年記念誌発行に向けて-各地の記念碑・標柱等紹介(三)-
74-27
20141030
一、静岡県浜松市 「伊能忠敬記念経緯度標」 佐鳴湖公園内
二、静岡県掛川市(旧大東町)
74-28
案内板「伊能忠敬記念碑」
案内板「伊能忠敬第四次測量隊宿泊地」
三、愛知県田原市 「日本全国を測量し、我が国初の実測日本地図を作成した伊能忠敬緯度測定の地」
74-29
四、徳島県鳴門市 木柱碑「伊能忠敬上陸地点」
74-30
五、北海道函館市 「伊能忠敬北海道最初の測量地」
【伊能忠敬は見た!】黒井堰 山形県東置賜郡高畠町〔現在は黒井堰水管橋〕
あとがき
74-31
伊能忠敬蝦夷地上陸の地 木製の標柱を建て替え 記事・写真ともに北海道福島町中塚徹朗氏提供
74-32
(没後二百年記念誌編集担当 河崎倫代)
74号
ちょこっと伊能探訪-大分の記念碑・史跡等紹介-
前田 幸子
74-40
20141030
一、大分県杵築市
二、大分県別府市
74-41
三、大分県大分市
四、大分県津久見市
74-42
75号
伊能忠敬没後二百年記念誌発行に向けて-各地の記念碑・標柱等紹介(四)-
河崎 倫代
75-54
20150220
一、石川県鳳珠郡穴水町 「伊能忠敬投宿地(池田栄斎宅跡)」
二、福島県耶麻郡北塩原村
案内板「会津・米沢街道と大塩宿」
案内板「北塩原村史跡 桧原宿跡」 この集落五一戸は、明治二十一年(一八八八)七月十五日の磐梯山爆発によって生じた桧原湖の湖底に没しました〔会津・米沢街道の宿駅だった〕
三、高知県香南市 「伊能忠敬緯度観測記念碑 北緯三十三度三十三分」
75-56
(没後二百年記念誌編集担当 河崎倫代)
76号
伊能忠敬没後二百年記念誌発行に向けて-各地の記念碑・標柱等紹介(五)-
76-27
20150620
一、愛知県海部郡飛島村 標柱「伊能忠敬測量之跡」・説明板・方位石
No
ジャンル
号数
表 題
著者
号-頁
発行日
505
△各地の記念碑
76号
二、兵庫県宍粟(しそう)市 「伊能忠敬日本地図製図の地」
河崎 倫代
76-27
20150620
三、兵庫県佐用町 「伊能忠敬宿泊之地碑」
76-29
【伊能忠敬隊は見た!】豊岡市に今も残る但馬国分寺旧跡の塔礎石
あとがき
76-30
(没後二百年記念誌編集担当 河崎倫代)
77号
伊能忠敬没後二百年記念誌発行に向けて-各地の記念碑・標柱等紹介(六)-
77-27
20151020
一、広島県神石郡神石高原町
石碑「伊能忠敬測量之地」
石碑「伊能忠敬測量隊宿泊邸跡」
77-28
石碑「伊能忠敬測量支隊宿泊邸跡」
石碑「伊能忠敬測量本隊宿泊邸跡」
77-29
二、島根県雲南市 石碑「伊能忠敬測量隊一行 ここを罷り通る」
三、島根県仁多郡奥出雲町 木柱「伊能忠敬測量地点」
77-30
(没後二百年記念誌編集担当 河崎倫代)
77-31
78号
伊能忠敬没後二百年記念誌発行に向けて-各地の記念碑・標柱等紹介(七)-
78-42
20160220
一、福岡県大牟田市 石碑「伊能忠敬測量之地」
『測量日記』、〝一行・一文〟の風景
78-43
一、福岡県久留米市大善寺町の「傘橋(からかさばし)」
二、静岡県松崎町の〝惣土蔵〟旧依田善七邸
(没後二百年記念誌編集担当 河崎倫代)
79号
伊能忠敬没後二百年記念誌発行に向けて-各地の記念碑・標柱等紹介(八)-
79-50
20160630
一、兵庫県篠山市〔現丹波篠山市〕
石柱「伊能忠敬笹山領測量の道」 篠山市追入
石柱「伊能忠敬笹山領測量の道」 篠山市上板井
79-51
石柱「伊能忠敬笹山領測量の道」 篠山市草野
石柱「伊能忠敬笹山領測量の道」 篠山市日置
二、福岡県北九州市 記念碑「伊能忠敬測量200年記念碑」 小倉城下常盤橋
三、福岡県大川市 石碑「第八次伊能忠敬測量隊御宿跡」
79-52
四、大分県国東市
79-53
石碑「伊能忠敬先生測量隊 御宿泊 本陣福力屋渡邉家跡」 国東市安岐町
石碑「伊能忠敬先生測量隊 御宿泊 小原大庄屋格 後藤鉄之助宅」 国東市国東町小原
木柱「伊能忠敬先生測量隊 御宿泊本陣 久保屋橋本七郎右衛門家跡」 国東市国東町富来浦
五、大分県杵築市
79-54
標柱「伊能忠敬測量隊宿泊本陣跡」
標柱「伊能忠敬測量隊宿泊別宿跡」
六、宮崎県高千穂町 木柱「伊能忠敬測量隊宿泊地」
79-55
七、佐賀県鳥栖市 長崎街道路面表示「伊能忠敬測量基準点」
八、長崎県雲仙市 案内板「深浦邸(旧愛津庄屋跡)」
79-56
(没後二百年記念誌編集担当 河崎倫代)
80号
伊能忠敬没後二百年記念誌発行に向けて-各地の記念碑・標柱等紹介(九)-
80-57
20160930
一、北海道虻田郡豊浦町
二、千葉県山武郡九十九里町
三、福岡県みやま市
80-58
四、大分県別府市
80-59
五、佐賀県鹿島市
六、熊本県阿蘇市
80-61
七、鹿児島県南九州市
八、鹿児島県熊毛郡南種子町
80-62
(没後二百年記念誌編集担当 河崎倫代)
80-63
81号
新潟県村上市の案内版・石碑
山浦 佐智代
81-34
20170228
案内板「伊能忠敬の測量地点に植えられた松」
石碑「伊能忠敬之碑 測量の為当地を訪れ此山形屋近蔵宅で休息」
81-35
90号
富士山測量本土最南端の地(三重県志摩市)
志摩市歴史民俗資料館 柴原 京花
90-65
20200229
最南端の地、国府村中ノ濱(現三重県志摩市阿児町国府(こう)地区)に記念碑建立。令和元年11月26日除幕式を開催
記念碑と富士山(214年後の同日、令和元年6月17日、杉野友司氏撮影)
90-66
講演会 「伊能忠敬の志摩測量」 講師星埜由尚
90-67
91号
「伊能忠敬没後二百年記念誌」後の 各地の記念碑・案内板等紹介(一)
河崎 倫代
91-58
20200628
一、長崎県東彼杵郡東彼杵町 石碑「伊能忠敬休憩之地」
二、岐阜県下呂市 石柱「伊能忠敬測量宿泊跡地」
三、千葉県香取市 銅像「伊能忠敬翁」
四、神奈川県足柄下郡湯河原町
石柱「伊能忠敬測量隊宿泊地」
石柱「伊能忠敬測量隊昼休地」
91-59
石柱「伊能忠敬測量隊 土肥氏墓に参拝」
No
ジャンル
号数
表 題
著者
号-頁
発行日
505
△各地の記念碑
91号
五、静岡県湖西市
河崎 倫代
91-59
20200628
石柱「伊能忠敬地図測量地点」
案内板「伊能忠敬・白須賀測量基準点記念碑」
六、三重県志摩市 石碑「伊能忠敬富士山測量本土最南端之地」
七、三重県津市 案内板「初瀬街道旧垣内宿」
91-60
八、大阪府大阪市 案内板「伊能忠敬測量隊一行当家に宿泊」
九、兵庫県丹波篠山市 案内板「伊能忠敬この道を歩く」
十、岡山県勝田郡勝央町
案内板「伊能忠敬測量隊宿泊地」
案内板「伊能忠敬測量隊天体観測地」
91-61
十一、広島県広島市 案内板「伊能忠敬讃嘆の地」
あとがき
上西勝也氏のブログ「史跡と標石で辿る 日本の測量史」を参考にさせていただきました
506
△記念碑の話題
8号
伊能忠敬記念公園と銅像除幕式
新沢 義博
8-32
19960601
一九九六年二月一一日日曜日 忠敬満二五一歳の誕生日
(しんざわ よしひろ 立正大学文学部地理学科)
27号
深川の富岡八幡に伊能忠敬銅像を建立 その趣旨と経緯について
実行委員会事務局長 渡辺 一郎
27-1
20011201
27号
富岡八幡宮に建立された伊能忠敬像
福田 弘行
27-3
20011201
表面および裏面の碑文
27-4
あわせて、来年四月から導入される「世界測地系」に従った最初の三角点「富岡八幡宮」が設けられ、同時に除幕された
27-5
この第一号の新基準点は銘板に、「北緯三五度四十分十五秒六一、東経百三九度四七分五六秒七四」と刻まれている
27号
忠敬像建立始末
伊能 洋
27-12
20011201
(いのう ひろし 忠敬銅像監修者・伊能忠敬より七代の子孫・洋画家)
27-13
27号
ドキュメント・伊能忠敬銅像建立
渡辺 一郎
27-46
20011201
2000.12中旬富岡八幡宮に1/2の伊能ウオーク完歩御礼参りの打ち合わせ。席上で何か記念のモニュメントを境内にとの話合い~2001.10.20除幕式
(渡辺 一郎)
27-48
27号
忠敬の銅像「出発」 最新の経・緯度標識見下ろし 富岡八幡宮20日に除幕 全国の募金で建立 足元に「世界測地系」の第1号
(朝日新聞)
27-62
20011201
35号
「勇払(八王子)千人同心」像-苫小牧市市民会館前庭 会員の堀江敏夫さんが市の担当者
35-31
20040130
36号
お便り 堀江敏夫さん(苫小牧市)から 勇払千人同心像のモデル河西祐助夫妻について
36-64
20040511
37号
伊能忠敬の石像が建立 伊能忠敬記念館敷地に 白鳥石材白鳥富士男氏の寄贈
37-64
20040820
41号
八幡宮の伊能像-よみうり寸評
(読売新聞)
41-45
20050809
49号
わしがモデル! 銅像とご対面! 神保新さんとお孫さん
伊能 陽子
49-6
20070806
神保新さん(忠敬の父神保貞恒の子孫)が五月三日、初めて富岡八幡宮へ
まわりの見物客に、「私がモデルです」
64号
地元の子どもたちによる伊能忠敬銅像清掃デ-2012
64-49
20120305
68号
第四回伊能忠敬銅像清掃デー開く 元気いっぱい数矢の子供たち 地元の数矢小学校の二十二名の生徒さん
木谷 道宣
68-54
20130228
72号
佐原諏訪公園-子供達による伊能忠敬銅像清掃-
72-54
20140228
第三回 伊能忠敬銅像清掃デー 寒空のなか小学生たち
香取支部長からの報告「伊能忠敬清掃デー」 佐原小児童も参加して楽しく交流
72-55
74号
長久保赤水先生銅像の建立について 常磐線高萩駅前
水戸市 川上 清
74-58
20141030
(かわかみ・きよし)
75号
佐原諏訪講公園の伊能忠敬銅像清掃
伊能 楯雄
75-58
20150220
82号
伊能忠敬北海道上陸の地 福島町吉岡 伊能忠敬銅像建立を目指して
福島町役場 総務課
82-1
20170630
82号
伊能探訪-肥前・筑前の旅-
玉造 功
82-36
20170630
一 佐原と佐賀県鹿島市
《二》 嬉野市塩田津地区
82-37
塩田津は内陸にあるが、有明海の干満の差を利用して、満ち潮で船が入り、引き潮で船が出ていったという
三 嬉野温泉で見つけた伊能忠敬案内板 旅館大村屋(伊能忠敬本陣)跡
82-38
四 平戸と的山(あづち)大島〔神浦(こうのうら)〕
五 宗像市で伊能忠敬の記念碑〔伊能忠敬宿泊跡〕に遭遇
82-40
82号
伊能忠敬像制作記
彫刻家 酒井 道久
82-41
20170630
「歩く」「測量」「五十五歳から」の三つのキーワード
神保家6代目、7代
82-42
松竹衣装部
84号
伊能忠敬翁没後200年記念事業 香取市が佐原駅前に銅像を建立
84-72
20180228
86号
JR佐原駅前ロータリーに 〔香取市が〕伊能忠敬翁の銅像を建立 北極星の観測を意識して北向に建立 制作者は木内禮智氏(香取市出身彫刻家)
86-60
20181107
87号
柳川市「伊能忠敬測量跡」記念碑を探して
小坪 隆
87-36
20190228
はじめに
87号
【経緯】小坪会員のご指摘(記念誌後編109頁の写真誤り)と、小坪会員への依頼
河崎 倫代
87-36
20190228
87号
一、記念碑はどこに
小坪 隆
87-36
20190228
二、龍神社を訪ねて
伊能図(部分)筑後柳川 龍神社(龍神宮)は5か所あった
87-37
三、何故ここに記念碑が
塩塚川の堤防が嵩上げされ、記念碑を正面から読むことができなくなった
No
ジャンル
号数
表 題
著者
号-頁
発行日
506
△記念碑の話題
87号
ここに設置されたのは、伊能忠敬が釜谷を測量の基点としたため
小坪 隆
87-38
20190228
おわりに
伊能忠敬測量日記には「弁天開〔現大和町皿垣開〕と云う堤を測、海辺泥海、一里余遠干潟」とあり
87号
訂正 【記念誌】有明町釜屋 龍神宮境内が正当
河崎 倫代
87-38
20190228
【提案】
91号
蝦夷地測量を始める伊能忠敬
酒井 道久
91-62
20200628
まさか、伊能忠敬を私が再び作る!?
新たなキーワード「五十五歳」「第一次蝦夷地測量開始」「五月、強風」「函館に向かう」
91-63
二〇一八年四月二十七日除幕式。像の前で、国指定重要無形民俗文化財「松前神楽」が演じられる
91-65
91号
二〇一九年「測量」十二月号の表紙 中塚徹朗氏撮影
91-66
20200628
92号
伊能忠敬銅像建立20周年記念式典
92-73
20201031
95号
伊能忠敬の銅像を清掃
中塚 徹朗
95-74
20211020
95号
測量「頑張った人、きれいに」 福島 伊能忠敬像、小学生ら水拭き
(北海道新聞)
95-74
20211020
99号
北海道福島町 銅像学習会
中塚 徹朗
99-65
20230228
99号
歩幅69センチで日本地図完成 児童ら伊能忠敬学ぶ
(朝日新聞デジタル)
99-65
20230228
507
△星座石(葛西昌丕)
20号
「測量之碑」と「星座石」の謎(一)
渡部 健三
20-24
19990730
第1図 現地案内図
第2図 向かって右は測量之碑、中央低い石は星座石
測量之碑 読み下し文
20-25
葛西昌丕〔まさひろ〕という人
第3図 星座石の盤面 北極出地弎〔参〕拾九度十弐分
20-26
まず、「地球の微動」を検証する
第4図 コマの首振り運動
20-27
(わたなべ けんぞう・物理学専攻)
21号
「測量之碑」と「星座石」の謎(二)
21-20
19991101
「地球の微動」とは「歳差」のことだろうか
第6図 地球の首振り運動=歳差
第7図 天の北極は移動しつつある
21-21
星座石の意味するものを考える
第8図 私流に整理した星座石の文字
21-22
黄道十二宮〔和名〕と十二次〔和名はない〕の概念
第9図 星座石を時計の文字盤に見立てる
21-23
昌丕は忠敬と接触したか
伊能忠敬存命中に、しかも自費で建立された記念碑は、この測量之碑と星座石だけ
29号
南三陸沿岸での伊能隊の足跡 -米国議会図書館蔵『伊能大図写』(写真版)による推定-
29-24
20020731
略地図1 陸前高田、大船渡付近
29-25
【補注】
伝・葛西昌丕(かさいまさひろ)翁隠居跡地
29-26
略地図2 釜石南部付近
29-27
海上引縄測量の航路を推定した図
56号
伊能忠敬の測量之碑第一号 忠敬の生存中に葛西昌丕(かさいまさひろ)建立
佐久間 達夫
56-54
20090531
平成十一年四月、読売新聞社大船渡支局の名村栄治氏の訪問
唐丹の碑 もとは白岬地区の海岸近くの、葛西昌丕の隠居跡にあった
56-55
星座石 地元の人々が「ヒドケイ石」と呼ぶ、楕円形の置き石
星座石の刻字
測量之碑の読み下し文 北極出地度数越享和元年辛酉秋九月二十四日〔1801.10.31〕以次及我郷測定為三十九度一十二分
56-56
渡部健三氏は、平成十三年のとある日、拙宅にお出でになり、翌年四月八日、『伊能測量隊、東日本をゆく』の図書が送付されてきた
56-58
(さくま たつお・伊能忠敬研究家)
56号
唐丹の碑 謎深まる忠敬との出会い
(読売新聞岩手版)
56-59
20090531
508
△銚子測量記念碑
63号
富士山の方位に拘った銚子測量の検証《頁数字「28」が脱落》
宮内 敏
63-28
20111208
一、伊能忠敬による銚子地方測量
二、富士山の方位測量に拘る
三、伊能図(銚子地方)と国土地理院との比較検証
63-29
四、富士山の方位測量を簡易検証
63-31
五、犬若岬に測量の碑を!
63-32
(みやうち さとし)
水準原標石
63-34
明治17年 迅速測図:小濱村に加筆
68号
「伊能忠敬銚子測量の碑」建立を目指して 犬若岬付近
68-56
20130228
70号
伊能忠敬銚子測量記念碑除幕式参加と銚子ジオパーク研修旅行のご案内
宮内 敏
髙宮 勲
70-51
20130915
銚子研修旅行案内図
70-52
72号
-銚子測量-富士山の方位測量の地 犬若岬今昔
宮内 敏
72-20
20140228
六十余州名所図会 下総銚子の浜 外浦 初代歌川広重作 嘉永6年(1853)
外川浦犬若の図
72-21
No
ジャンル
号数
表 題
著者
号-頁
発行日
508
△銚子測量記念碑
72号
下総国海上郡銚子飯沼山観音之図
宮内 敏
72-21
20140228
長崎・外川・犬若・屏風ケ浦
72-22
犬若から長崎方面の鳥瞰図
利根川図志:銚子浦犬若嶋千騎岩之図
利根川図志:銚子名洗浜之図
銚子犬若岬
72-23
現在の犬若岬
国土地理院:ウォッちず「銚子部分」に加筆
伊能大図「銚子半島部分」に迅速測図の海岸線を加筆
72-24
吉田初三郎画「大銚子遊覧鳥瞰図絵」
吉田初三郎画「銚子市鳥瞰図」犬若部分拡大 昭和十年代か
72-25
伊能隊富士山観測地点からの富士山
伊能忠敬銚子測量記念碑建立詳報
72-33
建立日 平成二五年十一月十七日 雲一つない好天に恵まれた除幕式
72-35
81号
伊能忠敬銚子測量記念碑が銚子市に移管
81-53
20170228
509
△神石高原町測量記念碑
38号
伊能忠敬の測量地に石碑 広島県〔神石郡〕三和(さんわ)町 当時の宿泊地にも石板
(中国新聞)
38-69
20041119
(記事、写真は十一月に合併で誕生した神石高原町の平田行雄氏提供)
54号
神石高原町に設立された四基の伊能測量碑
松井 義典
54-8
20081130
神石高原町の誕生と伊能測量記念碑
四つの伊能測量記念碑
54-9
伊能測量神石の足跡
54-10
箱田村で〔箱田〕良助の実家に止宿
54-12
菅茶山から伊能忠敬に贈られた詩
二、「伊能測量隊宿泊邸跡碑」(油木・下井関・中平)について
54-13
四基の伊能測量碑の所在地
54-15
(まつい よしのり・歯科医)
54号
編集部 神石高原町について 人口約一一、五〇〇人
編集部
54-15
20081130
510
△相浦地区測量二百年記念碑
75号
伊能忠敬相浦地区測量二百年記念文碑《記念碑 正当》設立の意義とその経緯
佐世保市 平川 定美
75-47
20150220
一 その意義
七十は《に 正当》近き春にぞ相浦《相の浦 正当》 九十九島をいきの松原 文化十年正月元旦〔1813.02.01〕
二 その経緯
平成26年〔2014〕5月9日除幕式 県有地借地(五年毎に更新契約)
75-48
三 これからの課題
四 「伊能忠敬相浦地区測量二百年記念之碑《記念碑 正当》」の概要
75-49
発起人 平川 定美
五 伊能忠敬相浦測量の足跡
75-50
図5 相浦地区測量行程図
75-51
511
△十二天守
94号
伊能図に描かれた現存十二天守《(一)》
河崎 倫代
94-62
20210628
94号
宇和島城(愛媛県宇和島市)
室山 孝
94-63
20210628
松山城(愛媛県松山市)
94-65
94号
丸亀城(香川県丸亀市)
河崎 倫代
94-67
20210628
※参考文献 山下景子著『現存十二天守』幻冬舎新書 二〇一一年
94-68
96号
伊能図に描かれた現存十二天守(二)
96-20
20220228
犬山城(愛知県犬山市)
96号
弘前城(青森県弘前市)
室山 孝
96-22
20220228
96号
彦根城(滋賀県彦根市)
相楽 文昭
96-24
20220228
97号
伊能図に描かれた現存十二天守(三)
97-23
20220620
97号
松本城(長野県松本市)
河崎 倫代
97-23
20220620
97号
姫路城(兵庫県姫路市)
室山 孝
97-26
20220620
98号
伊能図に描かれた現存十二天守(四)
98-25
20221030
98号
備中松山城(岡山県高梁市)
河崎 倫代
98-25
20221030
98号
丸岡城(福井市坂井市)
寺口 学
98-29
20221030
99号
伊能図に描かれた現存十二天守(五)
99-24
20230228
99号
松江城(島根県松江市)
相良 文昭・河崎 倫代
99-24
20230228
99号
高知城(高知県高知市)
寺尾 承子・室山 孝
99-27
20230228
99号
「現存十二天守」の連載を終えて
河崎 倫代
99-30
20230228
【現存十二天守】とは?
512
△伊能探訪のすすめ
71号
伊能探訪のすすめ-〝三種の神器〟を携えて-
河崎 倫代
71-25
20131225
下呂温泉と伊能忠敬
宿所・武川久兵衛の子孫を訪ねて
71-26
北海道開発の先駆者 飛騨屋久兵衛
71-27
72号
伊能探訪のすすめ-五島列島の旅-
72-37
20140228
一、福江島(長崎県五島市)
二、中通島(長崎県南松浦郡上五島町)
72-38
No
ジャンル
号数
表 題
著者
号-頁
発行日
512
△伊能探訪のすすめ
72号
三、宇久島(長崎県佐世保市宇久町)
河崎 倫代
72-39
20140228
筆者の曽祖父が古志岐島灯台で勤務したのは、大正十一年(一九二二)八月からの四年間である。島に上陸し、切り立った絶壁の鉄梯子を登る。三名ずつ十日間勤務体制だったという
72-40
あとがき
74号
伊能探訪のすすめ-岩手・三陸の旅-
74-34
20141030
一、盛岡市・旧石町(こくちょう)
二、宮古市田老・「学ぶ防災」
三、宮古市津軽石・「若狭屋」盛合家
74-35
四、下閉伊郡山田町・「鯨と海の科学館」
74-36
五、上閉伊郡大槌町・「キリキリ」善兵衛
74-37
六、釜石市唐丹町・葛西晶丕《昌丕 正当》の「測量之碑」
74-38
あとがき
74-39