「伊能忠敬没後200年記念 伊能測量協力者顕彰大会 開催



 平成30年4月21(土)、22日(日)に、伊能忠敬没後200年記念行事として、伊能忠敬研究会・イノペディアをつくる会、伊能忠敬の子孫が主催する「伊能測量協力者顕彰大会」が、東京で開催されました。
 大会初日の第一部は、千代田区神田にある学士会館で、伊能測量協力者の子孫70家族100名、会員・会友70名、伊能忠敬関係子孫10名ほどによる顕彰式と懇親会が行われ、第二部は同区内幸町に移動し、内幸町ホールで立川志の輔の落語独演会が行われました。
 大会2日目は、90名ほどが参加し、都内にある伊能忠敬関係の史跡めぐりと、伊能忠敬の墓がある台東区上野の源空寺で墓前法要が行われました。
参加者には、参加子孫のご先祖に関する測量日記と事蹟の一覧のほか、伊能忠敬の肖像画が入ったポスター、伊能忠敬測量の概要を都道府県別にまとめた「伊能忠敬日本列島を測る」前編・後編といった資料が贈られた。

第一部の顕彰式は、開会宣言、来賓の紹介、顕彰の詞に続き、第一次測量から第九次測量まで、協力者全員のお名前を披露し感謝状を贈呈した。
    
感謝状贈呈後、来賓の国土地理院長から、祝辞をいただき、感謝状を受けられた協力者の代表4名に感想をうかがうとともに、代表として幕府韮山代官江川英毅のご子孫からご挨拶をいただいた。
最後に、主催者を代表して、伊能忠敬研究会名誉代表の渡辺一郎より御礼の挨拶があり、顕彰式を終了した。
顕彰式に続いて、同会館内で参加者による懇親会が行われ、東京地学協会会長をはじめ、来賓者から御祝辞をいただいた。懇親会は、伊能測量の協力者という繋がりで、話題が尽きず、厳かな顕彰式から和やかな雰囲気の中で行われた。
    
第二部の記念落語会は、内幸町ホールに移動し、立川志の輔による1時間30分に及ぶ「大河への道〜伊能忠敬物語」が演じられた。志の輔さんは「まくら」で第一部の顕彰会が行われている時間に、有楽町のマリオンで朝日名人会に出演して来たばかりと紹介。観客が伊能忠敬の関係者や研究者ということで、会場の様子をうかがいつつ、伊能忠敬を題材にした落語を創作した経緯を説明した。落語の内容は、伊能忠敬没後200年を機に大河ドラマを企画する県の担当者とストーリーを委託された作家との話である。山場は作家と県の担当者のやり取りで、委託された作家が結局伊能忠敬のドラマをつくれない訳を聞く場面。
終了後に、再び高座に戻った志の輔さんは、実はこの作家は自分のことと、伊能忠敬の落語創作の苦労を話した。
最後に、志の輔さんの三本締めの音頭で、この日の最後を締め括った。

第三部は日を変えて、22日の午前中に行われた。
参加者は、東京駅丸の内側の丸ビル横に集合。貸切の都バスで皇居前を通り最初に芝公園にある記念碑を訪れた。
丸山古墳の上に建設された記念碑(伊能忠敬測地遺功表)を見学するとともに、増上寺や東京タワーを間地かに見て、新緑の木陰で思い思いに記念の写真撮影などを楽しんだ。
    
その後、新橋から銀座を抜けて、中央区の伊能忠敬終焉の地(地図御用所跡)、江東区に入り伊能忠敬隠宅跡を通り、富岡八幡宮で伊能忠敬の像を見学。
    
その後バスで台東区浅草の幕府天文台跡を通り、伊能忠敬の墓所である上野の源空寺に向かった。減空寺の墓所入口んには、「伊能忠敬没後200年記念法要」の立て看板があり、師の高橋至時、景保と並んで伊能忠敬の墓があった。法要は、墓前でお経をあげていただき、参加者一人一人が焼香を行った。

墓前祭終了後、バスで東京駅に向かい全ての行事を滞りなく終わることができた。
会参加者、運営の準備に参加してくれた会員・会友の皆さんに改めて御礼申し上げます。

報道
毎日新聞
佐賀新聞
高知新聞